一般人が競馬を論評する権利
結論を言うと、このタイトルについて競馬業界人の大半は「そんな事を言う・言われる権利などない。」「素人は黙って見ていろ。」と思っている。それが私が直に感じた空気感だ。
くだんの天皇賞のような大凡戦について全く無風の報道は「そんなつまらない事をほじくり返してくれるな。」という競馬界の「内側」のムードがそうさせているのだろう。
最近私が気付きだした事は、競馬社会は「旦那」文化で成り立っている業界である、という事である。
騎手や調教師に批判することがイケナイ事であり、批判されると彼らが反射的に態度を硬化させる、あるいは嘲笑するのは、「旦那」という絶対的な「上」の立場の者がする事は、「下」の者には真似が出来ないから批判も出来ない、という構造によって成り立っている。
例えば、騎手の騎乗が素人目からも明らかにレベルの低いレースがあったとする。
これに競馬記者や競馬ファンが批判をしても、競馬業界がそれを真摯に受け取る事はまず無い。「だったら、おめえが乗ってみろ」 こういう反応を示すのである。
「できねえだろ、だったらケチをつけるな」「はい分かりました」こういう世界である。
これは何も騎手や調教師に限ったことではない。育成牧場で働く素人上がりの乗り役でもこういうテングの発想で自尊心を保っているのが現状ではなかろうか。
そもそもこの業界はいささかの謙虚さを欠いているのに加えて、誰のおかげでこの業界が存在し、お給料がもらえているのかという根本を理解していない。 「ウチの社長が給料を出してくれる人だろ」「馬主さんが競馬を支えている人だろ」という程度に理解するのが目一杯かもしれない。何しろ競馬業界人は直に競馬ファンに触れて生活していないのであるから仕方が無いといえば仕方が無いが、私はまるで同情する気にはなれない。 「だったらおめえできんのか」と記者の質問に答えるスポーツ選手がいるのは世界を探しても日本の競馬界だけだからである。 こういうアホには野平祐二の感性や理想がまるで伝えられなかったんだな、と落胆せざるを得ない。
消費者、買う側の立場は、その対象物を自分で生み出せないから当然の如く金を支払うのであり、「おめえがやってみろ」と言われて出来るような事をしていて、お金はもらえるものではない。そもそも「旦那」文化は商業の原則に即していないのである。
一般企業は当然他の誰にも出来ないモノやサービスを生み出して、買う立場の人へ提供する。それに留まらず買った人のクレームやグチを口答え一つせず生真面目に、場合によっては感謝すら示して聞き入れる事で、より水準の高いモノやサービスへと進化させ企業を成長させる。それが働くという事であり、商いという事であり、お金を貰うという事である。
何をアホらしい事を長々と、と思われるだろうが、競馬で働く人間の大多数はこの程度のマクドナルドのバイト研修レベルの事も理解できていない。できていれば衆人注目の場において、人前に出る最低限の格好もせず変なプライド丸出しでだらしなく競馬場のパドックを周回するなんて様はありえない。 (この面での理解度は日本の公務員や金融業界も同程度だから、気を落とす事ではない。)
批判が無いからプレッシャーが無い、だからまた同じ間違いを繰り返す。三菱自動車とJRAの競馬はどこか同じニオイが漂っている。それを一般社会で生活するファンは敏感に感じ取って、競馬から距離を置いているのだ。
JRAは軽薄短小な「ライト層顧客」を中心にした利益構造を目指していると公言して久しいが、彼らライト層を相手に商売をするのは並大抵ではない。それは現在の有様を見れば明らかで、相当な数のライト層顧客は競馬から立ち去ってしまい、にもかかわらず新たな顧客を想像しているとは言いがたい。
社長であるJRAが適切なメッセージを発しないから、社員達がダラけて好き勝手な事を始める。競馬が抱える問題はここにあると思われる。
一刻も早くJRAのトップが、「このレースはJRAの売り上げに貢献したか否か」「この行為や発言はJRAの売り上げに良い影響を与えるか悪い影響となるか」と強力で明快なメッセージを日常的に発信する体制を確立する事が必要であると思う。事務次官上がりの官僚にそれをせよ、とは言わないが、それなら高田延彦的な立場の人間を営業統括本部長に抜擢してダイナミックに組織を動かすという手もあるのではなかろうか。
これを核に一般的な外部の意見が相乗りする形で一定の影響力を発揮する言論形態。この言論形成が最も「日本式の競馬」にとって良い形態だと思われる。
これに真っ向から異を唱える、という業界人がいるとすれば、それだとあなたの生活水準は大きく低下しますよ、と申し上げるだけである。
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