ラムタラ売却は登録馬名の時点から
ラムタラが2750万円で売却が決定しました。
買ったときの消費税にもならない格安価格にて世紀の名馬(?)無事帰国、と相成ったわけですが、これは一昨年、同スタッドで過去に繋養されていたケンタッキーダービー馬ファーディナンドが流れ流れてどうも食肉にされてしまったらしいという国際的にはショッキングなニュースが米国ブラッドホース誌から報じられ、世界中から袋叩きにあったという苦い経歴があるだけに下手な処分はできず、東奔西走というバックグラウンドがありそうです。
思えば、ラムタラが輸入された当時はサンデーサイレンス旋風初期にあたりまして、「俺は静内、私は荻伏」などと昔ながらの地区対抗意識もまだ旺盛な時代でありました。
つまりは「早来の社台なんかにいつまでも負けてたまるか」というクラシックなライバル心が無謀な種牡馬導入につながったのですが、逆にこのラムタラがもたらした悲惨なまでの失敗が日高の過剰なまでの投資意欲、種牡馬導入ラプソディに終止符を打ったのであります。
そういう意味では、ラムタラは記念碑的な種牡馬であったと言うことができるでしょう。
私の記憶が確かならば、社台グループに莫大な利益をもたらしたサンデーサイレンスですが、はじめは社台グループではなく、静内あたりの生産者グループが先手を打って獲得に動いていたという因縁があったはずです。つまり「事が運んでおれば、今頃サンデーは我が手中にあった」という大変な悔しさもラムタラ獲得の引き金になったと。
ついで申しますと、静内生産者連合の本命はラムタラではなく、カーリアンだったと記憶しております。確かにカーリアンならばサンデーに対抗できる産駒をもたらしてくれたのではないかと思いますが、円が世界を席巻していた当時でさえ、欧州の生産界は「売れる種牡馬」とサドラーズウェルズやカーリアンなど「絶対手放さない種牡馬」は分ける明確な意識があったのです。
そこで、当時種牡馬2年生のラムタラならば購入の可能性があったので、買いに動いた生産者達もサンデーの二の舞は御免とばかりに引くに引けず、導入に踏み切ったという経緯だったはずです。
このニュースが流れた当時は獲得金額の高さゆえに「成功が約束された種牡馬」といった誤った報道が多かったのですが、当時は単なる競馬好きの厨房に過ぎなかった私ですら「ニジンスキー最後の大物としての面白さはあっても精神力で走った馬に遺伝を期待すべきではない。オグリキャップがそうであったようにリーディングサイアーは期待薄。3歳秋までの競走生活で僅か4戦という体質の弱さもあり、大失敗の可能性の方が高かろう。40億円の値打ちがあるとはとても思えない。」と個人的には考えていたものです。
皮膚が薄い、惚れ惚れするほど品がある、というのがラムタラに対する一般評でしたが、それはまあ英オークス馬の直仔という良血であれば、10戦未勝利レベルでもそのくらいは持ち合わせているもので、そんな事で褒めてもらえるならグリーンアプローズやトーセンダンスにももう少し名声があっても良いのではないかと思います。
あのマイネル軍団がただの1頭もラムタラ産駒を生産、購買していないという事実からも、生まれてきた産駒の中に達人の眼力にかなう素質馬はいなかった模様です。
結局、世紀の名馬としてマスコミの話題をさらった産駒の多くはお金持ちの旦那衆や、日高の生産者グループが運営するクラブ法人に所有されることとなり、G1を勝つ事無く競馬場から去っていきました。
ラムタラ産駒は全体的にフィジカル面に優れておらず、繊細な印象を受ける産駒が多いのです。ついで言うと、精神的にも繊細さを多分に感じさせる産駒がほとんどで、勝負の世界に不向きな産駒が多かったと思います。
サンデー産駒を「オリンピック級の黒人選手」とすれば、ラムタラは「専門学校育ちのバレリーナ」にも例えられましょうか。この二者が走りで勝負すれば勝敗は明確です。
「種牡馬としては失敗に終わったが、良血ゆえに母の父として期待できる」とはよく言われるところですが、ラムタラ牝馬については、このような理由からも後世に期待できる要素が少なく、安易な慰めは懐疑的に捕らえる人が多いと思います。
「良質のニジンスキー血統」というあくまで限定的な理由を活路にラムタラの血統は生産界に残っていくものと思われます。
40数億円が何をもたらしたかといえば、日本の競馬界全体の資産を消費し、体力を削いだに過ぎない、と結論付けられるのではないでしょうか。
もっとも、当初「ラムターラ」と格式を感じさせる呼ばれ方をしていた同馬が「ラムタラ」と"肉と魚の混成みたいな馬名"で登録された時点で、この結末は予感していたのですけれども。
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