王貞治のジェラシー
“ホスト”新庄に王監督「NO」 http://www.daily.co.jp/baseball/2006/05/01/213548.shtml)などという野球ネタが面白いな、と思っているのですが、これって実は孫正義のおかげでトホホなユニフォームを着させられ内心ムカムカしている王貞治が「そんなカッコいいのズルいや」とクレームをつけているだけではないでしょうか。
野球のユニフォームも昔は「襟付きのデザイン」あったはずです。どこをどう解釈すれば「青少年の育成に悪影響が出る」のか論理的に説明してもらいたいところです。
(余談ながら、サッカー界、今年のアーセナルのユニは「伝統的な襟付き」でして、結構評判のデザインです。襟付きは奇抜でも何でもありません。)
新庄自身は見掛けは気持ちの良いバカですが、これは彼なりの巧妙な広報戦略でやっていることなのです。実際、こういうネタが記事になる事でしかファイターズの選手は写真になりません。
「毎度奇抜な何かをやらかしてくれる」という期待感が札幌ドームの観客動員に結びついている部分は確かにあるのです。新庄が抜けたら地味なチームですから、「自分しか人を呼べない」と自覚しているのですね。
誰にも迷惑をかけずに、わざわざ怒られるくらい目立つ事をやろうという姿勢はショーマンとしてひとつの才能だと思います。(今度デッドボールになったら投手を命がけで倒す、と言い放ったチンピラよりもよほど洗練されています。)
そもそも危険などのプレーに支障が出る理由でなければ、ユニフォーム云々は審判が文句を言うことではありません。(両チームとも白基調のユニフォームで試合をする高校野球の方が余程問題です。)
そして、相手チームの監督は審判以上に口を挟む立場ではありません。
これはむしろ味方チームであるファイターズ球団の問題なんですね。契約でどういう服装をするか決まっているんですから。
「それよりあの松中あたりが勝手に着用しているデカい首輪をなんとかしろよ、王。」
と思っている人多数、ではないでしょうか。あれは宗教的な何かでしょうか。
だとしてもプレーに関係の無い装飾品であり、奇抜かつ配色も見苦しいもので、品性をまるで感じさせない行為です。(あれ他のチームにも伝染しているらしいですね、彼らのトホホなセンスが若者の冷たい視線、そして低視聴率につながっているとなぜ分からないのでしょうか。)
あんなもので個人をアピールしようとする姿勢こそまさしく「青少年・・・」でしょうに。
「乱闘を意図的な演出でやる風潮と、それを意図的に静観する審判団」など、そもそもスポーツとしてはありえない状態ですからね。なぜ違和感なく毎年やっているのでしょう。
ついでに言及しておくと、「ベンチ裏での喫煙常態化」「キヨハラの893ルック」の方がよっぽど青少年に悪影響を与えるものに違いないのですが、野球の人達は何も手をつける気配がありませんね。
それから、「ミスしてもミスと認めない審判」。
これこそ青少年の人格形成にとって一番よろしくありません。
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